ああ辛い!

年の瀬の足音がひしひしと、しかも強力に近づいてくる!
クリスマスも近いけれど、みなさんは如何ですか。
仕事納めの目処がついてきたでしょうか。
そして来年の執筆に、新たな意欲を燃やしているでしょうか。
こばちはまだまだ戦っていて、あまりに辛くてちょっと息抜き。^^
書くことって、手探りで藪の中を進むようなものですね。着地を決め、枚数を決め、プロットを立てて書き始めるのに、了を打つまではそれが成功するかどうかわからない。
期日までに書き上げられるのか。内容はどうか。枚数は規定を満たしているだろうか。
くるしい……くるしいけど、休んでいる時間はない。かといって、むやみに書いた文章は、たいていが、ろくでもないものだったりもする。
だからせめて、もがききる体力を補充しておかなきゃならない。
最近のこばちのお気に入りは、マルチエネルギーアミノバイタル(リンゴ味)
何箱か買って冷蔵庫に常備。一日一本を目安にチャージして書き続けています。
結構瞬発力が出るんだよね。これ、ほんと
がんばるぞ!
その挑戦は無駄だったのか

コメント欄で公募についての会話が交わされています。
みなさんは年に幾度の公募に挑まれているでしょうか。結果はどうですか? 進捗しているでしょうか。
それとも伸び悩んでいる? 後退した? 進めた? その時々に様々な結果を得て、あるときは昂揚し、あるときは心折れ、結果として自分の立ち位置を確認する。公募の成果はそれだけでしょうか。
一次通過者の中に自分の名前を見たときはともかく、かすりもしない結果だったとき、本当に原稿は届いていたのだろうかと、疑問に思ったことはありませんか? 苦労して仕上げた作品は誰かの目に触れたのだろうかと。
以下は、ちょっと希望のあるお話です。
戦歴を重ねてついにデビューした人が、授賞式でプロ作家さんと会いました。
何度か挑戦した賞の選考委員の先生でした。
「あなたの作品は覚えている。○度とも、ぼくが落としたんだよね」
その人は深く頭を下げて、「ありがとうございました!」と、言いました。
その意味はふたつだったそうです。
ひとつは、○度落として下さってありがとうございましたの意味。
そそくさとデビューしていたら、自分は勘違い野郎になっていただろう。と。
ひとつは、覚えてもらえていたことに対する感謝。
そうして、こう思ったそうです。あの時と今は違うんだ。これからは、もっと違う自分を見せようと。
同じ時、版元さんからはこんな話を聞きました。
あなたのデビューが決まったとき、○○先生がこう言っていましたよ。
あの人なら大丈夫。地力がありますと。
○○先生もまた、その人が出していた別の賞で下読みをしてくださっていたのでした。
賞に送った場合、結果として知らされるのは通過者の名前と受賞の結果だけですよね。
それでも、送った作品は、ただ廃棄されているわけではないのです。
送られてくる作品の中にあるかもしれない金の一粒を、選者は必死に探しています。
逆をいうなら、それに見合う作品で挑んでいるかと自分に問うことは大切かもしれない。
心に残る作品(たとえ受賞に届かなくても)に出会ったら、彼らは作者の名前もしくは作品を覚えています。
今年も出してきたな。今年の出来はどうだろうか。
あなたの作品は、誰かに、そのように思われている。かもしれない^^
作家になりたいけれど、なれなくてもいい。あなたはそう思っていますか?
一粒の金を探す人たちに向かって、ここにいるよ!と、叫び続けているでしょうか?
コンスタントに選考通過をしてきたというのに、今回は奮わなかった。そんな時は凹んでばかりいないで、一粒の金を探し続けている人たちの、見えない姿を想像してみるといいかもしれない。
今年のあなたの作品は、昨年のあなたと比べられているのかもしれませんよ。