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その挑戦は無駄だったのか




コメント欄で公募についての会話が交わされています。
みなさんは年に幾度の公募に挑まれているでしょうか。結果はどうですか? 進捗しているでしょうか。
それとも伸び悩んでいる? 後退した? 進めた? その時々に様々な結果を得て、あるときは昂揚し、あるときは心折れ、結果として自分の立ち位置を確認する。公募の成果はそれだけでしょうか。
一次通過者の中に自分の名前を見たときはともかく、かすりもしない結果だったとき、本当に原稿は届いていたのだろうかと、疑問に思ったことはありませんか? 苦労して仕上げた作品は誰かの目に触れたのだろうかと。
以下は、ちょっと希望のあるお話です。

戦歴を重ねてついにデビューした人が、授賞式でプロ作家さんと会いました。
何度か挑戦した賞の選考委員の先生でした。
「あなたの作品は覚えている。○度とも、ぼくが落としたんだよね」
その人は深く頭を下げて、「ありがとうございました!」と、言いました。
その意味はふたつだったそうです。
ひとつは、○度落として下さってありがとうございましたの意味。
そそくさとデビューしていたら、自分は勘違い野郎になっていただろう。と。
ひとつは、覚えてもらえていたことに対する感謝。
そうして、こう思ったそうです。あの時と今は違うんだ。これからは、もっと違う自分を見せようと。
同じ時、版元さんからはこんな話を聞きました。
あなたのデビューが決まったとき、○○先生がこう言っていましたよ。
あの人なら大丈夫。地力がありますと。
○○先生もまた、その人が出していた別の賞で下読みをしてくださっていたのでした。

賞に送った場合、結果として知らされるのは通過者の名前と受賞の結果だけですよね。
それでも、送った作品は、ただ廃棄されているわけではないのです。
送られてくる作品の中にあるかもしれない金の一粒を、選者は必死に探しています。
逆をいうなら、それに見合う作品で挑んでいるかと自分に問うことは大切かもしれない。
心に残る作品(たとえ受賞に届かなくても)に出会ったら、彼らは作者の名前もしくは作品を覚えています。
今年も出してきたな。今年の出来はどうだろうか。
あなたの作品は、誰かに、そのように思われている。かもしれない^^

作家になりたいけれど、なれなくてもいい。あなたはそう思っていますか?
一粒の金を探す人たちに向かって、ここにいるよ!と、叫び続けているでしょうか?
コンスタントに選考通過をしてきたというのに、今回は奮わなかった。そんな時は凹んでばかりいないで、一粒の金を探し続けている人たちの、見えない姿を想像してみるといいかもしれない。

今年のあなたの作品は、昨年のあなたと比べられているのかもしれませんよ。
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若き日の読書

ちくわさん。おはようございます。
自分が折ったページに、感動の記憶がないなんて。笑
でも、そういうものかもしれませんね。
年齢を重ね、世界が広がっていくと、見えるものも、見ているところも変わっていく。
昔好きだった小説が、今は読めない。

書き手としても変わっていきますよね。
昔はすごいなと思っていた文章が、すっかすかであったことに気が付く。逆に言うと、今の自分の文章も、あっという間に拙いものになっていくのでしょう。
これって、でも、当然ですよね。^^ それだけ進んでいるってことで、変化しないなら成果も出てないことになる。

書き手として望むのは、いつ読んでも面白い!と、思って欲しいってことだけど、答えは出ない。
だからぎっちぎちに書くのではなく、余白を残すというか、余韻を醸すというか、読み手の思いの宿れる場所を作っておくのが大切なのかと、これは現時点での私の考えであり、
それもまた変わっていくのでしょうね。
でもさ。
そう考えてみると、桃太郎とか花咲かじじいとか、ああいう話は今読んでも面白いよね。^^
私が好きな話に 座頭の木 という昔話があるんだけど。ちくわさん、知ってる?
行き倒れの座頭を葬ってあげた場所に一本の木が生えて(植えて?)花が咲き、その花の真ん中で座頭が琵琶を弾いたり笛を吹いたり……その花が川に落ち、奏でながら流れていく。
やがて実がなり、凧や独楽、羽子板などのオモチャがなって、村の子供たちが喜ぶという話。
何が面白いのかというと、共感かなと思う。共感と驚き、映像、そして なるほどという納得。
これらはワクワクの基本にあるように思います。プラス不気味さもあるところが神ってる。笑

若き日の読書

こないだ本棚を整理しておりました、太宰の短編集が出てきてね、何ページか折り返してあるんじゃな。
たぶん中学ごろのちくわが「すごくかんどうした」部分を忘れないように織り込んだのじゃろう。
ほほう、それはけっこう面白い、どんな部分に影響されたのかな。
さっそくそのページを読んでみました。
読んでみました。
読んでみましたけどさ。

分からない。
さっぱり分からない。

次の折り込みも、また次の折り込みも。
もうね、ほんとうに目処もつかないんじゃよ、なんで折られてるのかさえ。


つまりね、感性が変質してるんじゃな。
若い時は若い時にしかできない読書ってあるんじゃな、そういうので知識や感性を養い涵養するわけじゃ。
ただ、どれほどの影響があるかは分からない。
若い時から続けてないとハンデがあるものは存在します。
習い事一般はそうかもしれませんね。

しかし、読書はどうなんだろ。
たとえば小さいころからテレビばっかり観ててやね、それでなにかになれるようには思えないよね。
それと同じような気がします。(と言うと乱暴に過ぎるかもしれませんけど)
コンテンツが含む繊細な部分を掬えるのは、あるていど歳を経ないと無理なんじゃなかろうか。(天才はいますけどね)

だから、いまが楽しくて読書してる、楽しくて書けてる人のほうが断然有利やと思いますよ♪

北日本二次発表されましたね。

音痴の話

ある方が言ってましたよ。麻生さんは音痴だったって。笑
でも、その方はこう続けました。(麻生さんがZeroだといった)語感を持つのもまた麻生さんだと。
努力でそれを得た希有な例だということでしょう。
本を読まなかった子供時代に、体感として培ったあれこれが麻生さんにはある。さらに、辞書を丸暗記する行動力も。^^
今、書いていて思うのは、新しい情報を取り入れながら書くとしても、その原動力はほぼ実体験に寄るのじゃないかということ。つまり、何に感動して何に興味を持ち何を魅せたくて書くのかという部分って、書き始めたときから本人の中であまり変わっていないんじゃないかと。
だからこそ、本を読んでいるだけの人じゃダメなんじゃないかな。余計なことをどれだけ一生懸命にできるか。好奇心を持ち続けられるか。そういうことの方が大切だと思うよ。
世界一音痴な歌姫の映画が間もなく放映されるみたいです。彼女が万人を魅了した理由こそ、書き手にも必要なんじゃなかろうか。

No title

昨日、藤沢周平さんの「半生の記」を読んでいたら、小学校時代から滅茶苦茶本を読んだ、みたいなことが書かれていました。こういうの、私、一番嫌いなんです(泣)。
前に、花村満月さんが芥川賞をとられたときの紹介で、中学出で不良みたい、とあったので、ついに私の仲間が出たかと喜んでいたら、小さい頃に父親に徹底的に本を読まされていたと知って、詐欺だ、とマジ思った。嫌いになった^^
↓のどこかに書いているように、私は高3まで本なんて読んだことがなかった。元気に田舎を走りまわっていた。つまり何の悩みもない、のほほんとした子供だったので、小説なんて必要なかったのですね。まあ、幸せでした。
ついでに書くと、音楽もない生活でした、クラシックなんて聞いたことないし、洋楽も知らない。せいぜいオヤジの浪花節^^なんて。
本も読まない、音楽も聞かない環境。死んだ親父のせいです、きっと。私が生まれた際に、家中から本という本を捨ててしまったのでしょうね。
で、こういう環境からどんなやつが育つかというと、こんなやつ。語感zeroのやつ。
確かに音痴ですけど、文章面でも音痴。リズムが私にはないのです。頑張ってはいるけど、やっぱりできない、と思う。
で、ようやく本題ですが、大沢在昌さんの言葉。
――学んでいるなら、三回で受賞しなさい。そうでなければ才能はない。
 確かにひっくり返りますが、わかります。自分を見ればわかります。語感は学んでも確立できないですね。音痴の私がハバネラを歌えば、狸も逃げるでしょう。私は、せいぜい畑の案山子代わりにしかなれない。これが才能というやつなのでしょう。少なくとも、私にはgiftは与えられていなかったようです。
それでも、すでに何年もやっています。楽しいからです。いや、習慣になってしまったからです。公募に出すのも習慣になれば、年に何度もジャンボ宝くじを買うようなもので、わくわくと心臓も活性化して、きっと長生きできるでしょう^^
つまんないこと、どうもでした。でも、子供の頃に本を読んだ人が羨ましい、そんな人、絶対友だちになりたくないです、よ~^^

ちくわさん

大沢在昌さんだったかな?
学んでいるなら、三回で受賞しなさい。そうでなければ才能はない。
と語られた講座の記事を読んで、ひっくり返ったことがあります。笑
たった二行の言葉ですが、そこに現れていないことが沢山あったと、今ならわかります。
6年は決して長くないんですよね。それほどに、学ぶべきことはあり、デビューしてもまだまだずっとある。^^
ちくわさんは書くことが好きだと仰ったけど、好きであることが前提ですよね。そうでなければ続けられない。
また別の作家さんは、書き続ける限りあなたは作家だ。 と、仰った。
それもまた然りと思います。作家という冠に何を求めるかということでしょう。
七年目。きっとつかんでくださいよ。応援しています。

名無しさんになっちゃってるし

すいません、それちくわです。

こばちさん、ちくわも6年になります。
ダモ師匠がデビューまで6年もかかっちまった、って言われてたの聴いたときは6年も続けられるもんかなあ、ちくわには無理かも。
などと思っておりましたよ(笑)

泣いたり笑ったりしてたら一年なんかあっという間なんじゃなあ。
前建てられたスレでおっしゃられてたように、公募は年一回しかないので、巡ってくるのも速いんじゃよね。

7年目はいいことあるといいですけど。

麻生さんそれですそれ

「 」内の改稿ってそれのことです。

やはり一応はそんなでルールがあんのね。
長い口上になると改稿できないとみっしりした感じになっちゃいますものね。(カラマーゾフの兄弟とか、よくもまあこれだけ続けるなあって感心します)
もちろん、休みを入れるために切っても構わないわけじゃけど。

そういうと恥ずかしそうに目を伏せた。
一気にそれだけ喋ると上気した顔を撫でた。
目を剥いて更に続けた。

なんでもいいからこういうのを放り込めば文章を一旦切ることができます。
だけど、それがしたくない時に「 」内で改稿するのじゃ。
そうかそうすれば良かったのか。
参考になります。

雑談

ゼロから初めて8年経った自分ですが、こうやって話しているとそれなりに歴史があったのを思い出します。笑
書き始めの頃に、8年書いていると言う人に会って、すげーなあ。大先輩だと思ったことも^^;
その実自分の8年は、大したことじゃないと思える。そういうものなんでしょうね。
何年頑張っていても、止めたら全部無駄になってしまう。だからこそ、成果をあげるまでは続けないとね。

>麻生さん
つい最近読んだ小説が、まさしくそのような改行をしていました。
エンドカギ括弧をつけ忘れた誤植かと思っちゃった。笑
(法則を知っていないと、わかりにくい改行ではある)
自作を校正するときには、予め校正記号などを学ぶ必要がありますね。人生、どこまで行っても勉強なんだなあ

No title

「・・・」内の改行の話、何のことかよくわからないけど、英文の場合はこんな感じです。これが一般的みたいですね。以下↓

「ぼくはぼくなんだけどね、でも違うみたいでがんすが。
「でもこうやって改行すると、次の人の台詞みたいですが、終わりの(」)がないので、まだ続いてますよ、ってわかります。
「こうやって、実に長々と話すケースがありますね。特にお前が犯人だ、と言われてからの、犯人のしょぼい懺悔
「すんません」
 ここで、一人話終わりです。最後の(」)があるから。
 話題になっているのが、こういうことじゃなかったら、無視してください。
 無視にも虫にも慣れてますから^^;くうっ~。

それぞれの戦い

>こばちさん

>自分は処女作が540枚。

ひいっ(笑) そりゃすごいね。
驚くべきスタミナを持っておられるす、羨ましいじょ。倦まず飽かず進むというのは得難いギフトなのじゃと思います。それにしてもすごいな。
ただ、長いもの書いてると(枚数を自ら制限しないで書けると)ものすごく自由を感じますよね、なにものにも縛られないでいいんだって。
ちくわはその辺は好きではあるのじゃけど。

「 」内の改稿についてですけど、あんまりやってる人を見ないよね。
それは禁則だって指摘されたことがあって、そうなのかって思っていたんだけど、完全に間違いというわけでも無さそうじゃよね。こばちさんが言われるように。
なんらかの効果をもたらし、かつ読み易ければやっぱりアリじゃよね。(マナーとかそうされている、ってことからもう少し放たれても良いように感じています、思い付きで荒らしては駄目なんだろうけど)



>さかあさん

>約5年前に書いていた時期、応募していたのがオール讀物新人賞と文學界新人賞でした。

両者とも難関じゃな。
しかもオールの一次通過とはすばらしい。
書けなくなることは珍しくはないのじゃけれど、その間が5年とは長かったですね。 けど、よくは分からないけれどじゃね、それだけの猶予期間が必要だったんじゃろうよ、書きたくなるまでね。
道理で良いセンスされてるなって思いました。



>麻生さん

>話がつまらないとかなら納得ですが、住んでいる田舎を知らない、では何かしっくりきません。

納得のいかないことで理不尽な扱いをされるというのは、普通に生活を営んでいても案外ぶちあたりますね。
真意を汲んでもらえないばかりか、真反対の解釈を受けてしまうとか。
「コノウラミハラサデオクベキカ」みたいについつい呟きたくなるようなケースとか。(さすがにそりゃないか)
公募の選評読むとそういうのってものすごくあるなあって思います。(普段の生活なんかよりはガチな分齟齬も誤解も生じやすいからかもしれません)
だけど、ともかく麻生さんは伝えられて良かったですね、少なくとももやもやしないで済む。(とはいえ一生憶えてるでしょうけど)

>昨日は秋のススキが入日を背にして、白い・・のように見えましたが、入日側から見ると、老婆の白髪のように陰気な影でしかありませんでした、なんてことをね。

日が当たってるススキの原って綺麗ですよね、同じく日に照らされたイチョウの黄色は鮮やかじゃ、なんであんなにも美しくて良い気持ちにさせてくれるんじゃろうね。
そうそう、北日本の彼女は表彰式で選者の宮本氏から「それでタイトルは変更しますか?」 と問われ「いいえ、気に入っていますから」って答えたそうじゃよ。
引けないとこってありますよね。♪

書く人も読む人も

もちろんです。
ようこそ。

お邪魔します

初心者でも参加して大丈夫ですか?

さかあさん 麻生さん

おはようございます。
>さかあさん
初めて応募して一次を通過したら、私もソッコー買っちゃったかも! 笑
こばちの場合、初めて出したのがファンタジーノベル大賞でした。もちろん撃沈。それがあってのごはん!参加だったので、結果オーライだったということですね。そして学ぶ必要を感じました。
その後は最終以上しか本に載らない賞への公募が多かったです。
初めて選評をもらったときは、恥ずかしくて読むことができませんでした。目は文字を追っているのに頭に全く入ってこない。笑 選評をもらうことだけでテンパってしまったんですね。恥ずかしい。

>麻生さん
その星はおそらく金星かと思います。
昔、ごはんにいたある人が、今夜は月の近くに金星が見える。と、メールをくれたことがありました。あの金星になりたい。なーんて、洒落た台詞を吐く人でした。今はホントに星になっちゃったけどね。そのことを思い出させてもらいました。
田舎を知らない。という選者の言葉ですが、それは客観を知らないという意味ではなかったかと思います。実体験がこうだから、こう書いたのは正しいでは小説ではないと、たしか私は麻生さんから教わった気がします。^^
小説とは虚構を書くものであるけれど、虚だけの世界に読み手は入っていけないので、虚実取り混ぜて道を作る必要があるんですね。たとえ事実は小説よりも奇なりとしても、読み手が、ここは虚、ここは実、と、意識下で振り分けながら読む方が面白い。田舎に対して読者が求める客観をあなたは知らない。と、その先生は仰ったのかもしれませんね。そこにあるドラマを醸さずにどうすると。
ともあれ、私は麻生さんの作品に描かれる男性の心理描写に惹かれます。ただ、心理描写に隙がないので、やはり客観が加わればいいなと思っていますよ。

書くことの楽しさ、かな^^

晴れているらしく、きれいな三日月が出ています。そしてその斜め左下によく光る星があります。北極性じゃないだろうし、宵の明星でもないだろうし。火星かな。とにかく月の護衛をしている感じです。スーパームーンや何とか流星雨の晩は雨でしたが、名もない月と星の仲良し風景はそのお返しみたいで、ちょっと気分よくなります。うちの村は日が暮れると街灯が三つほどしかないから、夜空はまさに星の運動会になるのですよ(って、彦丸みたいですが^^)。そんな、すっごい田舎です^^;
今日は車を運転していて、高速で、何かどっからか小石が飛んできたらしくて、フロントガラスにきれいな線が入ってしまいました。最初は短い糸くずがあるな、と思っていたら、その糸がどんどん横ばいして、今は正面まで来ています。光の加減で青く光ったりして、きれいなことはきれいなんですけどね。でも、フロントガラス、全面取り替えみたいです。いくらかかるんだよ、ギャッ~!! 最悪です。
おまけに小説よりも長くやっているものにもそっぽを向かれて、金が寂しく消えるし。最悪です。
なので、少し楽しい話を書きます。(ここまでは枕というより、感嘆と鬱憤でした^^; 長っ!!)
小説にもビギナーズラックというのがあるんですね。今日行った場所にはなかったけど(泣)
最初に応募した小説が、何と何と、ある賞の最終に残ったのです。まさにビギナーズラックですね。でも、結局はダメでしたが、それでも5作のうち3番目くらいだったかな。ついその気になって翌年も、その次も出したのですが、ダメでした。ビギナーズラックは最初の一回だけでした。
で、選評が載っているのですが、その中に、ある作家さんがこう書かれていました。
あなたは、自分がいる田舎を知らない、と。本当は田舎じゃないですが、まあ、ここでは田舎ということにして。
その選評を読んだときの気持ちは複雑でした。だって、私はその田舎に住んでいて、そこで見聞したことを書いているわけです。でも、作家さんは私の田舎に来たことないじゃないか。
話がつまらないとかなら納得ですが、住んでいる田舎を知らない、では何かしっくりきません。でも、まあ、作品としてもダメだったから、落選は納得でしたけどね。
で、あるとき、全く偶然にその作家さんと話す機会を得たのです。ほんと、偶然。そのとき、あなたに田舎を知らないと書いたことありますね、と言われたのです。何年もたっていましたが、覚えていらしたのですね。つまり、私の名前を記憶に残してもらっていたのです。本名で出していたので。感激でしたね。
その作家さんの本は、それから本気で読み始めました。読まないではおれませんでした。
こばちさんが書かれているように、その作家さんは私に頑張ってほしい、という気持ちを持たれていたのかもしれないですね。でも、ダメでした。今は私の名前も忘れられたことと思います。
参考までに書きますと、その話の最中に、私がプロットが書けないと言ったとき、アホでがんすな、というようなことを言われました。プロットは大事でがんすよ、と。もちろん標準語でしたが^^;
 書けば何かがある。何もないってことはないです。書いていたからこそ、ここでの出会いもあって、こうやって書きこめますね。私は書き続けたことによって、実に多くの縁を得ました。そうでなくても、実に多くの好奇心を育てることができました。畑仕事しているときも、私はメモ帳持参です。昨日は秋のススキが入日を背にして、白い・・のように見えましたが、入日側から見ると、老婆の白髪のように陰気な影でしかありませんでした、なんてことをね。
そんなのをメモって、今度何かに使おうと思っていますが、それも書くという目線を常に持っているからと思っています。そしてそれが楽しいし、文字を書ける自分がうれしいです。ジャンジャン!! それでは、失礼します。明日の検討に入ります^^

一次通過の喜び

約5年前に書いていた時期、応募していたのがオール讀物新人賞と文學界新人賞でした。
文學界のほうは全然ダメでしたが、オールは一次通過(2次落ち)したことをはっきりと覚えています。自分の名前(ペンネームですけど)が載ることは感動といったら大袈裟ですけど、胸を打たれました。

ただそれからスランプというかなぜか一文字も書けなくなりました。なので今夏から文章が稚拙ながらも書けたことがまず嬉しい。
来年作品を仕上げることができるかわかりませんが、もし完成できたら、良い思い出のあるオール讀物に応募してみようかなと思っています。

ちくわさん初めて通過した文芸誌買わなかったんですね。かっこいいです。私はソッコー買っちゃいました(笑)

会話文の体裁

ちくわさん
三十枚の次が二百枚って、^^; それ、けっこうな難関でしたね。
自分は処女作が540枚。これは全くひどすぎて、本当にもう、病気の粋のものでした。今思っても恥ずかしい。何を書くべきか、どう書くべきか、頓着することすらなかったのですね。
三十枚と二百枚の差を自覚して書いたちくわさんは、読み手の目線をすでに持っていたのでしょうね。それにしてもありがたいのはご家族の反応。よい奥様をお持ちですね。
そして、一次通過の実感を持った。これもまた貴重な経験であったと思います。好きであること、そこが一番大切なんじゃないかなと思います。そうでなければ、続けられない。

ごはんの感想欄で、「」内の体裁について書かれていましたね。
台詞部分の一文字下げはどうかという。
これについてですが、正否はないと思われます。校閲校正を経た場合にも明確な間違い以外の部分においては、作家が最終的な判断をしますが(もちろん、自作に責任を持つのも作家ですが)重要なのは読者に伝わるか。読みやすいか。理解しやすいか。ですので、台詞が長文にならざるを得ない場合には、一文字サゲがあってもよいと思いますよ。
ただ、サゲがはいる長文が続くと読み手はそれが台詞であったことを忘れてしまう場合もあり、すべてにおいてバランスを取ることは大切かなと思います。あたりまえですけどね^^;

最初の通過

ちくわは小説すばるでした。
先日書いたように産まれて初めての公募が北日本で散々だったわけでじゃね、しかし30枚書くのにも大変な思いをしたわけです。
次は200枚(!)
簡単に言いますけれど原稿用紙って簡単には埋まりません。(ここに居る方はみんな知っておいでじゃろうけどね)
こう言ってはあれじゃけど、やはり始めてみるとやね、書いても書いても終わらないどころか、自分が今どこにいるやら判んなくなってじゃね、しかもパソコンも不自由でミスタイプ多いし、誤変換あたりまえだし、なんかもう闇雲に終わらすためだけに突き進んだような作品でした。
応募したらそれで気が済んで、結果は見ませんでした、どうせ無いに決まってるからじゃな。

そしたら妻が載ってるよって教えてくれました。
あらま、ほんとだ、雑誌てにして見ると一次に残ってました。初めて本に名前が載りました。
すごく変な気分でしたな、意外極まりなかった、あんなもの評価してくれた人がいたんだ。
「この雑誌記念に買っとこうか?」って聞かれて「いやいいよ、一次だし、そのうちいつかなんか獲るし」って応えて、買いませんでしたよ。(かっくいい!)

あれから進歩してるやら。
その辺は分かんないですけど、あの頃の気持ちは忘れないでいたいなと思っています。
書き手は評価を待つしかない。
なので書いて送ればあとはどうなるかもはや分かんない。
なかなかハードだし、やってられない世界ではあるす。
それでも続けてるのは好きだからじゃな。

正直こんなに長く続いてるものは無いかもしれない。
まあ、もう少しがんばってみます。みなさんもどうかがんばってくださいね。
プロフィール

monokaki

Author:monokaki
管理人は複数います。作家志望同士でお互い創作談義をしたり、下読みしあうような仲間が集まっています。もっと仲間を増やして、客観性を養いたいと思っています。

2017年12月18日より、しばらくの間開設します。

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