皆様、こんばんは。
管理人の一人、さつきです。
先日は月食がございまして、残念ながらわたしは全く見えなかったのですが、きれいなお月様の姿、
皆様ご覧になれたでしょうか?
さてさて、前回台詞の鍛錬をいたしまして、
せっかくなので今回は、ちょいと台詞について語り合おう、という雑談コーナーにしたいと思います。
皆様どうぞ、ごゆるりと参加していってくださいませ♪
※どの鍛錬も受付継続しておりますので、どこからでも飛び入り参加歓迎してます^^
(いつものごとく宣伝w)
ではでは……
小説の中での台詞って、とても大切。
挨拶ひとつとってもそのキャラクターにとよって違いますよね。
「おはよー」、「ちーす」、相手によっては何も言わないかもしれないし。
挨拶ならまだいいですけど、ここはちょっと見せ場だぞ、というような場面では、
台詞もインパクトを持たせたいし、キャラクターによってはちょっと凝った感じにしたい、とも思いますよね。
そこで、皆さんは今までに
「お、これはいいな!」と思った台詞に出会ったことはありますか?
小説でも、演劇でも、ドラマでも構いません。
この表現いいな、と思ったものを、ぜひコメント欄に残していってください♪
ちなみにわたしは、
先日イギリスのドラマ「刑事フォイル」というものを観ていたとき、主人公の刑事フォイルが、
「ちょっと○○に行ってくる」
と、一人で署を出ようとして、少し不思議に思ったのか部下が「理由を聞いても?」と尋ねると、
「聞くのは自由だ」と答えて出て行かれまして。
私、一瞬間をおいて、あ、聞くのは自由、その代わり答える答えないも自由だけれどね(自分は答えないよ)
という意味だったか、と遅れて気づきまして(^^;
この場面、ちょっと内々な依頼のために人に会いに行くシーンの前だったのですが、「理由は言えないよ」と言うよりもずっといいと思いまして。
フォイルさんは凄腕刑事で、みんなからも信頼が厚く、厳しいけど人情があり、紳士で頭もよく、切り返しが上手いキャラクターだったので、さすがフォイルさんだなあと関心してしまいました。
(かなり好きなドラマだったんだけれど、こないだ最終回を迎えました泣)
皆様も、良い台詞との出会いがございましたら、ぜひ、コメント残していってください♪
お待ちしております^^
スポンサーサイト
ゆう子さん、お久しぶりです^^
体調はいかがでしょうか?
いただいた台詞、なんとも艶めかしく、ふわあとなってしまいました。
愛に狂気に、関係ないけど、サロメを思い出しちゃったり。深いわ。
そして、こばちさんのコメントに、本当にそうだなと思ってしまって。
誰かが亡くなれたとき、いつも、何と言えばよいのだろうかと言葉に詰まってしまいます。
自分がもう少し成長したら、違う伝え方もあるのだろうかとか。
こういう思いは自分だけじゃなかったのかと思って、少し書き込ませていただきました。
改めて、一日一日を大切に生きていきたいと思います。
木世荷さん、346Uさん
心からお悔やみを申し上げます。
友人の不幸に際しては、何を言うこともできないのです。何を言っても嘘くさいし、寄り添いたいと思っても、それもまた本当ではないと思えてしまう。言葉を生業にしている作家であっても、言葉の無力さを思い知る。何行も何行も書き連ねて、結局全部を捨ててしまったことがあります。そして、ありきたりのことしか言えませんでした。
そういう自分が書くことの根底を鑑みるに、死してなお生きる方法を模索しているようにも思います。失ってしまったことを心に伏せて、それでもなお生きるためには、失ったことが虚しいばかりではないと伝えるしかないと、そんなふうに思うから、結局は生きている人のために書くのです。死んでしまったことではなくて生きてくれたことに焦点をあてて、私がつなごうと伝えたくなる。
どうか元気を出してください。
「中国人らしく残酷に」
マルグリット・デュラス「愛人」より
華橋のお金持ち青年とデュラスらしき少女がいちゃついているときに、少女が「私を殺すとしたら、どういう風に殺す?」という質問への青年の回答
あまりにも官能的で、自分のお子さまぶりにうちひしがれました
ちなみに、90年代のサブカル好きなガールたちは、おフランスの小説と映画をチェックするのがたしなみで、私もそれにのっかるモブキャラでした( ̄∇ ̄*)ゞ
346Uさん、
私も昨年、目の前で仕事の仲間が息を引き取りました
ご家族の方が最期の時を共有できればよかったと、今でも運命の巡り合わせに納得できない思いがあります
ご冥福をお祈りします
346Uさん、コメントありがとうございます。
ご同僚の方のご逝去、お悔やみ申し上げます。
この世は理不尽なことばかりだと、ついそう思いがちな日々ですが、
いただいたお言葉にはっとさせられました。
苦しいことも楽しいことも、きっと自分次第。
一日一日を、大切に生きねばと、また誓う日々です。
「 息ができて、生きているだけで十分幸せなこと。自分以外の人を全て許して、受け入れて、ついでに自分も許すこと。この宇宙に恐怖という実体はないです。あるのは、心の奥底に自らが作り出した恐怖というキャラが束の間あるだけです」
少し長いですけど、このセリフはある人が、精神的に疲れた人に贈った言葉です。
最近、アパートのベランダに巣を作り卵を温めていた紅バトが、何者かに惨殺されました。
続いて、同僚が心筋梗塞で、私の腕の中で帰らぬ人になりました。
さて、多くの人は今の幸せをかみしめる方法をしならないで、何ものかにそそのかされたように人生を送っています。それもまた自分の一部なのですね。普通は潜在意識の奥底の恐怖や不安、自らが作り出したものに支配されている。
しかし、そうであれば、逆に幸福もまた作り出せるはず。その方法を見いだせる小説を書きたいと思っています。また、恐怖も幸福も作り出せることを物書きは、意識するしないはともかく知っているはずね。そのために小説の技法があると思っています。
「生きているだけで、”十分”幸せ」
親衛隊長さん、ドリーマーさん、
はじめまして。
いつも見守ってくださって、ありがとうございます。
ご一緒に技法を求めて切磋琢磨いたしましょう!
ドリーマーさん、ありがとうございます。お呼び立てしてすみませんでした。
>いつか自分でも、そんな台詞が書けたらいいな、と思います。
本当にそうですね。
書き手になることを選んだ人たちの多くは元々コアな読み手であり、読んだものに感動して、自分でも書くことを選んだと聞きます。私もその一人です。
いつか、読み手の心に届く一文を書けるようになりたいですね。
コメント、ありがとうございます。
いつも読んでいただいているようで、重ね重ねありがとうございます。
陽の末裔、未読ですが、聞いたことがあるような。
わたくし、という人称がもう、力強さを持っているように思いました。
長い人生、どんなことが起きようと、やっていこうと、
自分は自分。
ゆるがぬ芯を持って生きていけたらと、思いますよね。
そんなパワーをコメントからいただきました(^^)
こんにちは。
『ただいま推敲中』は一年くらい前からROMっていました。ブログ内での鍛練の様子や公募の話など、興味深く読ませていただいていたので、今回、お声掛けをいただいて嬉しかったです。
印象に残った台詞のこと。
『陽の末裔』(市川ジュン)という戦前~終戦時が舞台のマンガに「わたくしの価値は わたくし自身だわ!」という台詞がでてきます。
社交界の花と呼ばれる資産家令嬢(養女)の主人公が、自分の出自(破産した旧家の娘で、一時は紡績工場で働いていた)を公衆の面前でばらされた時に、ばらした相手に告げる言葉です。
ばらした相手は、自分が典型的な成金家庭で育った反動で、由緒ある家柄や財産に固執しています。だから出自を曝せば、主人公を貶められると思ったのです。
ところが、それに対して主人公は前述の台詞を言い、さらに「地位も財産も生まれも育ちも、そんなものは道具でしかない。そんなものでわたくし自身は揺るがない。どこにいても なにをしていても わたくしは わたくしだわ!」と続けます。
読んだのは二十年以上前ですが、今でもこの台詞は忘れられません。
二十ン年の間には、人生の節目になるような出来事もあり、その度にこの台詞を思い出しては、「いつ、どこで、なにをしていても、私は私。自分の価値を高めるのも低めるのも私自身だ」と自分を鼓舞していました。
他に有吉佐和子さんの『仮縫』(これも古い小説ですが)と、『めぐり逢わせのお弁当箱』というインド映画に、心に響いた台詞や一文があります。どちらも自分が迷っている時に思い出して、その言葉に元気づけられています。
いつか自分でも、そんな台詞が書けたらいいな、と思います。
それでは。どうもありがとうございました。
こばちさん、
>記事とは離れる書き込みです。
作家でごはん!から来て下さった方(もしくはROMって下さっていた方)で、本気で作家を目指している方がおられましたら、コメント欄へ一報頂けますと幸いです。
ありがとうございます。
そう、待っています^^
わたしからも。
お待ちしておりますよ♪
●親衛隊長さん、
コメントありがとうございます!
ワンピース、深いですよね。
わたしも読んでおりますが、あそこの台詞はそのままの解釈をしておりました(^^;
読み解いてらしたように、深いわけがあるのかもしれませんね^^
おっしゃっていた通り、あの漫画は心の声はなるべくださないようにと作者さんの意図があるようですから、きっとセリフにも人一倍気を付けて、考えてらっしゃるんだろうなって、キャラクターづくりのこだわりを改めて感じました^^
●こばちさん
コメントありがとうございます^^
いやあ素敵なご婦人ですね^^
実際のお話というのがまた素敵。
若々しさの秘訣はきっと、その方の生き方というか、
そういう切り返しができるような、考え方の部分にきっとあるのでしょうね^^
年を重ねるたび、できれば相応の落ち着きと賢さがほしいなあなんていつも思ってしまうのですが、
茶目っ気も忘れずにいたいな、なんて、ちょっと関係ないかもしれないけれど、
そんな風に思ってしまいました^^
記事とは離れる書き込みです。
作家でごはん!から来て下さった方(もしくはROMって下さっていた方)で、本気で作家を目指している方がおられましたら、コメント欄へ一報頂けますと幸いです。
ブログが休止するまでのわずかな間ですが、お待ちしています。
こんにちは
文字だけで伝える小説は、誰の台詞であっても文字なんですよね^^
当たり前だけど、だからこそ、文字の裏側に込める部分が大切なのだと思います。
>さつきさん:「聞くのは自由だ」
外国映画を観ていて、洒落ているなあと感心する背景に台詞回しのセンスがあります。これもそうだよね。粋でお洒落でワクワクさせる。あのセンスは盗みたいなといつも思います。
>親衛隊長さん:「わかった!!!」
ワンピースが絶大な人気を誇る裏には、仲間たちを思い遣る熱さというソースがあるときいたことがあります。
誰もが感動できるソースを使いながらも、それが決して古くないのは、これもまた作者のセンスなんだと思います。
ひっくり返したものをまた元の位置へひっくり返して見せる。そこには作者の技とセンスが活きている。これもまた盗みたいところですよね。
私は実際の話から。
老齢のご婦人がセールスレディと立ち話をしているのを見かけました。保険のセールスだったのか、年齢のわりに身ぎれいにしているご婦人に、セールスレディが訊きました。
「おいくつなんですか?」
するとご婦人、ニッコリ笑って
「そんな難しいことを訊かれても、答えられないわ」と、言います。
「だって、年齢は毎年変わってしまうじゃないの」
ご婦人に一本取られた形になって、訊いていた私がニヤリとしました。あんな風に年を重ねて行けたら素敵だなと。人間の脳細胞は他の動物と違い、死ぬまで代謝、発達できるそうですよ。
年だからという言葉は、実際問題とは相容れないものかもしれませんね。
こんばんわ。
前回の鍛錬への飛び入り参加ついでに、「いいな」と思ったというより、「深いな」と思ったセリフを一つ書かせていただきますね。
個人的に印象に残っているのは、漫画「ワンピース」の主人公のセリフ『わかった!!!』です。
このセリフは第376話で出てきますが、そのセリフが出てくる流れを簡単に説明すると、
「司法の島」と呼ばれる世界政府の拠点に連行された仲間や恩人を奪回するために、主人公一味と船大工連中と解体屋集団が結託。
→「司法の島」突入前にそれぞれの代表者が集まって作戦会議。
→船大工連中と解体屋集団の代表者が、「強敵との戦いに備えて主人公一味の戦力を温存するために、自分たちが先行して攻め込む」という作戦を提案。
→主人公、『わかった!!!』と力強く返答する。
→「司法の島」に到着。
→主人公、いきなりゴムの能力を生かして単身「司法の島」に乗り込み、暴れ出す。
→各代表者が主人公の行動を目にして「何やってんだ あいつは勝手に―ーー!!!!」「あの人、全然作戦わかってねェ~~~!!!!」などと叫ぶ。
→主人公の仲間も「『わかった』って言ったよな?」「5分”待つ”とか」「ムリだから」などとあきれる。
自分はコンビニでの立ち読みで、この回をリアルタイムに読みましたが、当初の感想としては、主人公の身勝手で無茶苦茶な行動にあきれるような感じ。
けれど、その回のタイトルが『わかった!!!』になっているのがひっかかって、その場でもう一度注意深く読み返してみて、別の読み方ができる事に気がつきました。
普通に読むと、主人公が提案された作戦に対して『わかった!!!』と答えておきながら、いきなり作戦と違うめちゃくちゃな行動をとっているので、結局主人公は『わかってなかった』という話になる。
けれど、作戦会議の部分を読みなおすと、解体屋集団の代表者の発言に『先行した自分たちがいくら倒れても構わずに前に進んでほしい』というような部分がある。
つまり、提案された作戦は、強敵との戦いに向けて主人公一味の戦力を温存できる一方で、確実に解体屋集団に多大な犠牲者が発生する代物。
主人公は、実は作戦会議時に、その作戦を実行した場合の解体屋集団の犠牲の大きさを直感的に理解していたんじゃないだろうか。
主人公自身は自分の強さに自信を持っていて、自分たちのために解体屋集団に犠牲になってほしい、とは思っていない。
けれど、そういう考えをそのまま話して作戦に反対したら話がまとまらなくなる、という展開も読める。
じゃあ、どうするか。
会議では『わかった!!!』と思いっきり断言して作戦を了承しておきながら、いきなり作戦を無視し、
自分が真っ先に島内に飛び込んで大暴れして敵を減らす。
無駄に犠牲者を出さないという自分が望む形に持ち込むため、余計な発言や議論なんてせずに、とにかく実力行使あるのみ。
そんな読み方もできるなー、と気づきました。
漫画「ワンピース」では、作者のポリシーで、主人公には一切モノローグが書かれないんですよね。
だから、本当のところは分からないんですが、もしも自分が推察したように主人公の『わかった!!!』という発言が
解体屋集団の犠牲者を最小限にする最善の方策を直感的に思考してなされたものだったとしたら、
なかなかに深いセリフだよなー、と感じたのでした。
って、うまく伝えられてなかったらすみません。(汗)
それでは、失礼します。